カマネコ探検隊夜明け前

結成秘話幻想其の一

それは AU VIEUX COMPEUR,PARIS のShow Windowに
きらめいた9月の陽光の中で始まった


1982年9月下旬、私はパリにいた。8月の半ばから2週間、北アフリカのチュニジアに滞在し、その後ヨーロッパに渡り、気の向くままにヨーロッパの各地を渡り歩いていたのである。なかでもパリはかなり気に入っていた。
ただぶらぶらするばかりでなくて、日本を出るとき神谷夏実さんから紹介されていた、パリスペレオクラブ会長のクロード・シャベールさんにお会いし、スペレオクラブのクラブハウスを見学したり、シャべールさんの推薦するコースで南仏の石灰岩地域に出かけたりと、フランスのケイビングに接していた。話には聞いていたものの、ヨーロッパではケイビングが登山と同じくらいにポピュラーなアウトドア・スポーツであることを、各地で実感させられた。
南仏の小旅行からパリに戻り、いよいよ帰国する日の朝、これも神谷さんに聞いていた、ソルボンヌの向かいにあるパリ一番のアウトドア・ショップ「AU VIEUX CAMPEUR」に出かけた。この店は登山、スキーからダイビングや乗馬、ジョギングまでアウトドア・スポーツ用品なら何でもあり、のスーパーマーケットのようなキャンプ屋である。ケイビング用品もおいてあるという話だった。
あちこちうろついた末に、目指す店を探し当てた。そして、まず目に入ってきたのは、表のショーウインドウに飾られたマネキンのケイバーだった。私の足はピタリと止まり、目はショーウインドウに釘づけになった。
9月の陽光に輝くショーウインドウの中で、彼はヘルメット、ライト、ツナギ等ケイビング装備に身をかため、ケイビング・バッグを吊り下げて、SRTでロープにぶら下がっていた。いや、SRTではなくラダーだったかも知れない。とにかく、この光景は、それまで見聞きした何ものをも超えて、直接的に、日本とフランスにおけるケイビングの社会的地位の違いを強く物語っていた。
「メウロコ」(目からウロコが落ちること)の瞬間だった。カルチャーショックと言ってもいい。私は店に入ることも忘れてショーウィンドウの前に立ちつくし、日本のケイビングはダメだ、フランスがうらやましい、日本でもこうならなきゃダメなんだ!と痛切に感じたのであった。(つづく)

浦田健作

[BGM:Steppin' Out by Joe Jackson/ The Paris Match by The Style Council]



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