カマネコ探検隊夜明け前(3)

  前回、九州大学探検部周辺で行われた「スペレオ学習会」が5〜6回で途絶えたと
書いたが、実際は20数回も続いていた。そんなに勉強した記憶はないのだけど訂正し
ておく。
  1983年はカマネコ探検隊結成の前年にあたる。しかし夜明けはまだ遠い。いや、夜
明け前にはより闇は濃くなり、気温も最も低くなる。この年の早春、私は星も見えな
い暗く冷たい闇に遭遇した。ここでは詳しく書かないが、洞窟科学調査会の某氏との
トラブルによって、極度の人間不信、そして自己不信に陥ってしまったのだ。彼は平
尾台の調査を通じてのパートナー的存在であったため、その不信感はケイビングおよ
びケイビング・コミュニティーそのものの否定感を生じさせた。簡単に言うと、洞窟
に入ることとケイバー(特に関東の)と親しくすることが、不快になってしまったの
である。
  前年までは年間3〜4ヶ月はケイビング合宿に参加していたのが、1983年には4回
しか洞窟に行かなかった。そのうち2回は九大探検部の新歓合宿と夏の徳之島洞窟調
査合宿というオフィシャルなもの。そして1つが九大探検部とアウトドアショップC
ANP−2との共催で行った「初心者のための洞窟探検」である。
  今後のカマネコをめぐる私のストーリーは、この闇からの逃避、脱出、再生として
読み取ることができるだろう。次回は歴史的「初心者のための洞窟探検」パートTに
ついて、当時の資料や参加者の感想文を紹介しよう。
  3月に山口大学洞窟研究会による平尾台・青龍窟測量合宿が行われた。青龍窟の測
量は、1980〜1981平尾台合同洞窟調査でやり残していた課題であり(目白洞、千仏洞、
不動洞の測量もやり残していたのだが、今、一人でシコシコやっている)、九篠康範、
由利佳代らの執行部が中心となって曽塚孝氏の協力のもとに、あの複雑な洞窟を1/100
のスケールでスケッチするという驚異的プロジェクトだった。測量は終了したものの、
製図は暗礁に乗り上げている。何とか甦らせたいと考えているのだが。
  この合宿のあと、前述の理由で私はケイビング・コミュニティーから遠ざかること
になるため、記憶していることも多い。
  曽塚氏の紹介で宿舎を平尾台のふもとの新道寺に借りていた。洞窟学研究会の岡本
茂男さんや、当時戸畑高校地学部の1年生だった西行太郎も参加したような気がする。
一夜にして雪が積もって台上に登れない日もあった。九州といえ平尾台の3月はまだ
寒い。

                                                                 浦田健作


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